年度 月日 主な出来事 社会
明治40年 7月12日 中山競馬場の前身、総武競馬会が組織される。 10月:外国野球(ハワイ)初来日。
  9月22日 〜30日 第1回秋季競馬を松戸競馬場4日間開催、競走回数41回、出走馬100頭。  
明治41年 10月6日 馬券の発売禁止。政府の補助金による補助金競馬の時代に入る。 9月:夏目漱石、朝日新聞に「三四郎」を連載。
明治43年 5月25日 定款を改正して松戸競馬倶楽部となる(5月30日付けで認可)。 5月:ハレー彗星地球に大接近
大正8年   松戸の競馬用地が、陸軍用地として接収されたため、葛飾郡中山町と葛飾村にまたがる土地(現在よりやや南側)を地主より借り入れ移転する。 1月:パリ講和会議ひらく。
大正9年 1月26日 中山競馬倶楽部と改称。
事務所を東葛飾郡葛飾町古作210番地に置く、現在の「明王院」新義真言宗の西側、JRA中山古作第1有料駐車場敷地内。
3月:大戦後の経済恐慌始まる。
大正12年 4月1日 〜3日 春季競馬3日間開催。以後、理事多数移動のため昭和3年まで競馬を開催せず。 1月:菊地寛「文藝春秋」創刊。
  7月1日 競馬法が制定され、投票券の発売(単勝)が法許される。 9月:関東大震災。
昭和2年 10月23日 現在地に新競馬場を建設することとなる。馬場、厩舎、その他の設備が昼夜兼行で建設された。 7月:芥川龍之介自殺。
昭和3年 1月21日 〜29日 競馬法による第1回競馬を4日間開催、入場者21,984名、売り上げ1,717,340円の好成績をおさめる。 2月:わが国初の普通選挙。
  6月21日 中山ステークス競走編成趣意書を発表(農林省は中山秋季特別競走と名称を変更して許可) 6月:治安維持法改正公布。
  7月21日 〜29日 秋季競馬4日間開催、入場者26,938名、売り上げ2,174,980円を計上する。また、この秋季競馬から、陸軍の要望によりアングロアラブ競走を施行。  
昭和4年 3月9日 〜17日 春季中山競馬4日間開催、入場者32,637名、売り上げ2,326,160円。 3月:大学卒業者の就職難深刻。
  10月18日 〜27日 秋季中山競馬6日間開催、入場者38,733名、売り上げ2,606,740円。 10月:ニューヨーク株式市場大暴落。世界恐慌始まる。
  10月20日 秋季中山競馬3日目に、わが国初のステークス競走となる「中山秋季特別競走」施行。  
昭和5年 3月21日 〜30日 春季中山競馬6日間開催、入場者39,396名、売り上げ2,239,200円。 1月:ロンドンで海軍軍縮会議。
  3月25日 理事長に肥田金一郎氏、常務理事に阿部純隆氏が就任。 11月:浜口首相東京駅で襲われる。
  3月29日

春季競馬3日目に、新設の『内国産馬4000メートル競走』(後に『中山4000メートル競走』と改称)施行。この春、厩舎8棟、監視台5ヵ所、障害飛越1ヵ所を追加。

 
  10月17日 〜26日 秋季中山競馬6日間開催、入場者43,604名、売り上げ2,217,120円。  
昭和6年 3月21日 〜29日 春季中山競馬6日間開催、入場者48,742名、売り上げ2,551,300円。この時より『レコード賞』として騎手に200円を出す。また、入場料を1等5円、2等2円から3円、1円にそれぞれ値下げ、 1月:漫画「のらくろ」が登場。
  6月1日 改正競馬法施行(開催日数8日以内、複勝式の追加等) 9月:満州事変勃発。
  10月2日

〜18日 秋季中山競馬8日間開催、入場者59,507名、売り上げ3,957,000円。この秋季競馬には繋駕速歩競走と障害競走を前3日に終結して行う。また、従来の監視係を廃し、100メートル毎に7ヵ所の走路監視所を設ける。

12月:再度、金本位制停止。
昭和7年 3月19日 〜4月3日 春季中山競馬8日間開催、入場者64,767名、売り上げ4,865,600円。 3月:満州が建国を宣言。
  7月26日 〜31日 競馬法施行10周年記念競馬を4日間開催、入場者35,104名、売り上げ2,333,940円。一般来場者に記念品を配布。
この頃、陸軍騎兵少佐岡田小七氏を嘱託として迎え、大障害競走の企画設計にあたらせる。
5月:犬養首相らが青年将校に射殺される(5.15事件)。
      5月:チャップリン来日。
  11月19日 〜12月4日 秋季中山競馬8日間開催、入場者76,032名、売り上げ5,107,920円。  
  11月21日 秋季競馬3日目第6競走の繋駕速歩競走で1位に入線したジュウライが失格、後に議会で問題となり、競馬統制論台頭の一因となる。  
昭和8年 2月 倶楽部は専用道路用地を買収、葛飾町に寄付。町当局は競馬場と国道間に道路を新設。 1月:ヒトラーが独首相に。
  3月19日 〜4月3日 春季中山競馬8日間開催、入場者79,797名、売り上げ5,218,960円。 3月:日本、国際連盟を脱退。
  3月26日 春季中山競馬5日目に、新設の『中山春季五歳馬特別競走』(距離2800メートル)施行。  
  4月5日 理事会は秋季競馬より集結競馬を廃し、混合競走をなす件を可決。  
  10月2日 倶楽部理事会は、新潟競馬倶楽部に一時借入金25,000円の貸付を承認。  
  10月28日 〜11月11日 秋季中山競馬8日間開催、入場者101,718名、売り上げ6,645,840円。  
  11月5日 秋季中山競馬6日目に、新設の『中山秋季五歳馬特別競走』(距離3200メートル)施行。  
  12月16日 理事会は福島競馬倶楽部に10ヵ年年賦で80,000円の貸付を承認。  
昭和9年 3月24日 〜4月8日 春季中山競馬8日間開催、入場者106,686名、売り上げ6,152,000円。 1月:日本製鉄設立。
  3月24日 春季競馬1日目の障害競走が『朝日トーキーニュース』で放映される  
  4月3日 春季競馬6日目、澄宮殿下ご台覧。  
  8月27日 肥田金一郎理事長は、距離4100メートル、1着賞金10,000円の大障害特別競走を創設する旨、各倶楽部に通知。 9月:室戸台風、関西を襲う。
  11月30日 〜12月9日 秋季中山競馬8日間開催、入場者106,844名、売り上げ5,790,880円。 11月:ベーブルースなど米大リーグ野球団、来日。
  12月5日 秋季中山競馬5日目に、第1回『大障害特別競走』(現在の中山大障害)施行。  
昭和10年 1月7日 理事会は、春季競馬に先立ち、発走、審判などでとかく問題の多い速歩競走に勝馬投票券を発売しない件を決議。  
  3月30日 〜4月14日 春季中山競馬8日間開催、入場者121,621名、売り上げ6,786,140円。  
  10月12日 〜27日 秋季中山競馬8日間開催、入場者138,343名、売り上げ7,062,720円を突破。 8月:吉川英治「宮本武蔵」。
  10月20日 この秋から大障害特別競走に農林省賞典が授与されることになり、競走名を『農林省賞典障害競走』に改称して施行。
この年、施設の大改革を行う。
 
昭和11年 3月28日 〜4月12日 春季中山競馬8日間開催、入場者132,872名、売り上げ6,406,120円。 2月:青年将校が内大臣斎藤実らを射殺(2.26事件)。
  8月11日

肥田金一郎理事長逝去、63歳であった。

 
  10月7日 中山大障害コースの設計者岡田小七理事が調教中に落馬し、5日後の12日殉職、49歳。  
  10月10日 〜25日 秋季中山競馬8日間開催、入場者154,341名、売り上げ7,337,240円。  
  10月18日 この秋から中山五歳馬特別競走が廃止され、新たに第1回『中山記念』施行。 11月:日独防共協定調印。
  12月10日 日本競馬会の設立認可。11競馬倶楽部はこの日より1年以内に解散し、その権利義務の一切を日本競馬会に引き継ぐこととなる。  
昭和12年 3月23日 春季競馬開催に先立ち、前年死去した肥田金一郎氏の胸像除幕式を行う。 7月:日中戦争勃発。
  3月27日 〜4月11日 春季中山競馬8日間開催、入場者170,094名、売り上げ8,694,740円。倶楽部時代最後の競馬となる。今季から中山4000メートル競走を廃止。  
  6月15日 中山競馬倶楽部解散、日本競馬会中山競馬場となる。新場長阿部純隆氏任命される。  
  10月8日

阿部純隆氏、中国戦線で戦死。

11月:伊、日独防共協定に参加。
  10月9日 〜24日 第1回日本競馬会秋季中山競馬8日間開催、入場者158,368名、売り上げ8,062,200円。 12月:日本軍は南京を占領。
昭和13年 4月2日 〜17日 春季中山競馬8日間開催、入場者178,584名、売り上げ10,170,320円。 4月:国家総動員法公布。電力国家管理実現。
  6月 〜8月 この期間中、中山競馬場では第12回オリンピック馬術候補選手の強化合宿が行われる。 10月:日本軍は武漢三鎮を占領。
  11月19日 〜12月4日 秋季中山競馬8日間開催、入場者201,323名、売り上げ12,658,960円。  
  11月26日 〜27日 秋季開催中のこの両日、防空演習が行われる。  
昭和14年 4月1日 〜16日 春季中山競馬8日間開催、入場者177,811名、売り上げ12,119,840円。 1月:横綱双葉山70連勝ならず。
  4月9日 第1回『中山四歳牝馬特別競走』(現在の『桜花賞』)施行。以後、昭和18年まで中山競馬場で行われる。 5月:NHK、TV試験放送に成功。ノモンハン事件勃発。
  4月11日 阿部純隆氏記念碑除幕式。 9月:第2次世界大戦勃発。
  11月23日 〜12月10日 秋季中山競馬8日間開催、入場者234,255名、売り上げ20,288,780円。  
昭和15年 4月2日 〜14日 春季中山競馬8日間開催、入場者217,415名、売り上げ18,218,220円。 5月:宝くじ1枚10円で売り出し。
  11月30日 〜12月15日 秋季中山競馬8日間開催、入場者218,655名、売り上げ21,215,720円。 9月:日独伊三国同盟ベルリンで調印。
昭和16年 4月5日 〜27日 春季中山競馬8日間開催、入場者243,470名、売り上げ24,018,120円。 4月:日ソ中立条約調印。
  11月22日 〜12月14日 秋季中山競馬8日間開催、入場者251,899名、売り上げ28,272,540円。 12月:日本、米英に宣戦布告。
昭和17年 4月11日 〜5月3日 春季中山競馬8日間開催、入場者142,305名、売り上げ12,356,480円。 1月:日独伊軍事協定調印。
  4月18日 春季競馬3日目に空襲警報発令される。 6月:日本海軍がミッドウェー海戦で敗北。
  11月12日 〜12月13日 秋季中山競馬8日間開催、入場者191,364名、売り上げ19,430,380円。  
昭和18年 4月17日 〜5月9日 春季中山競馬8日間開催、売り上げ19,135,300円。 2月:日本軍はガダルカナル島を撤退。
  11月21日 〜12月12日 秋季中山競馬8日間開催、売り上げ20,954,160円。  
  12月17日 閣議で、太平洋戦争の逼迫による競馬の一時停止を決定。以降昭和19〜21年は開催せず。 12月:第1回学徒兵入隊。
昭和19年 3月30日 中山競馬場閉鎖、陸軍軍医学校出張所に引き渡される。 1月:大都市に疎開命令。
昭和20年 10月15日 日本競馬会は、極端な食糧不足に対処するため昭和21年9月まで各競馬場の農業化計画を立案したが、中山競馬場は第3農場に定められ、それに基づく開場式と地鎮祭が行われる。 8月:米軍機B29が広島、長崎に原爆を投下。「終戦の大詔」で太平洋戦争終わる。
昭和21年 9月8日 同日発売号の『週間朝日』に「競馬復活、その道の人に今後の在り方を聞く」と題する座談会記事が掲載され、競馬再開に絶大な効果を上げる。この座談会は、2代目中村勝五郎(馬主)の尽力により実現し、吉川英治の司会によるものだった。 1月:天皇が人間宣言。GHQが公職追放令をだす。
  10月15日 競馬法が一部改正され、投票券の1人1枚制限は撤廃され、払い戻し限度額も100倍に改められる。 5月:皇居前で食糧メーデー。
  10月17日 戦後第1回の競馬を、東京・京都で開催。 11月:日本国憲法公布。
昭和22年 1月5日 関東騎手会中山支部結成。  
  1月21日 〜31日 騎手免許試験の受験準備として騎手講習会を行う。  
  1月26日 競馬場で馬主、調教師の懇談会が和気藹々に行われる。  
  2月21日 関東競馬振興会は、秋の中山に肥田金一郎賞を設けるように日本競馬会に提案したが断られ、代わって中山に関係が深く繁殖成績抜群のカブトヤマを讃える『カブトヤマ記念』を設けることに決まる。  
  3月21日 〜4月13日 戦後第1回中山競馬8日間開催、売り上げ182,137,340円。 4月:新学制(6、3、3制)発足。
  3月31日 第1回中山競馬2日目に払戻金残金の内170,000円が盗取されたため、安田理事長は各競馬場あて『現金出納保管に関する件』として注意を呼びかける。 5月:日本国憲法施行。
  11月2日 〜23日 戦後第2回中山競馬8日間開催、売り上げ306,475,670円。 7月:公正取引委員会発足。
  11月9日 第1回『カブトヤマ記念』施行。 8月:最高裁判所発足。古橋広之400メートル自由形で世界新記録。
  11月29日 〜12月21日 戦後第3回中山競馬8日間開催、売り上げ321,809,900円。  
昭和23年 3月11日 日本競馬会理事会は、6枠の『連勝式勝馬投票法』を決議(3月20日認可)。これにより春季中山競馬の初日から『連勝(単)式勝馬投票券』が発売される。 1月:国民参賀に二重橋開放。
  3月20日 〜4月18日 春季中山競馬8日間開催、売り上げ350,997,320円。この開催からフォト・フィニッシュ(決勝写真)が正式に採用される。 4月:GHQは「文化の日」など9ヶ月の祝祭日に国旗掲揚を許可。
  7月19日 新競馬法施行され、日本競馬会は解散し国営となる。 9月:マッチ8年ぶり自由販売。
  10月2日 〜17日 国営競馬として初めての中山競馬7日間開催、売り上げ305,593,400円。  
  10月23日 〜11月7日 秋季第2回中山競馬8日間開催、売り上げ379,808,300円。 11月:小倉市でわが国初の競輪開催。
  12月4日 銀座場外発売所が開設。  
昭和24年 4月10日 社団法人中山競馬場馬主協会(会長中村勝五郎氏)の創立総会 4月:米1ドル360円が実施。
  4月16日 〜5月8日 第1回中山競馬8日間開催、入場者265,449名、売り上げ629,287,500円。  
  5月3日 中山競馬場で『皐月賞』が初めて施行されトサミドリが優勝。  
  6月18日 〜7月3日 第2回中山競馬6日間開催、入場者125,677名、売り上げ354,042,000円。 6月:ビアホール復活。
  10月1日 〜23日 第3回中山競馬8日間開催、入場者174,002名、売り上げ395,326,500円。 7月:下山事件、三鷹事件。
  11月26日 〜12月18日 第4回中山競馬8日間開催、入場者138,924名、売り上げ399,757,400円。 11月:湯川秀樹博士にノーベル物理学賞。プロ野球、セ・パに分裂。
  12月3日 第1回『朝日杯3歳ステークス』施行。  
昭和25年 1月3日 錦糸町場外発売所が開設。  
  4月1日 浅草場外発売所が開設。  
  4月1日 〜23日 第1回中山競馬8日間開催、入場者123,166名、売り上げ304,639,500円。この開催からフォト・チャートカメラが使用される。  
  4月29日 〜5月14日 第2回中山競馬8日間開催、入場者99,452名、売り上げ300,210,200円。 6月:朝鮮戦争勃発。
  5月20日 新橋場外発売所が開設。 8月:警察予備隊設置。
  9月23日 〜10月15日 第3回中山競馬8日間開催、入場者89,971名、売り上げ212,023,500円。この開催は連勝式投票券の発売を6頭までに制限。  
  12月2日 〜24日 第4回中山競馬8日間開催、入場者90,280名、売り上げ302,641,500円。  
  12月22日 競馬法が改正され、控除率が37%→25%となる。  
昭和26年 1月5日 〜14日 第1回中山競馬前半5日間開催、入場者60,579名、売り上げ212,221,900円。 1月:NHK紅白歌合戦始まる。
  3月18日 〜21日 第1回中山競馬後半2日間開催、入場者41,363名、売り上げ124,473,000円。  
  4月1日 〜15日 第2回中山競馬6日間開催、入場者104,050名、売り上げ363,840,800円。この開催から三重勝式投票券が初めて発売される。 4月:マッカーサー、連合国最高司令官を罷免される。
  5月12日 〜27日 第3回中山競馬6日間開催、入場者113,105名、売り上げ434,831,900円。  
  10月6日 〜28日 第4回中山競馬8日間開催、入場者118,972名、売り上げ567,218,400円。  
  12月1日 〜23日 第5回中山競馬8日間開催、入場者140,247名、売り上げ682,734,200円。  
昭和27年 1月5日 〜20日 第1回中山競馬8日間開催、入場者128,298名、売り上げ605,696,500円。  
  4月5日 〜29日 第2回中山競馬8日間開催、入場者149,633名、売り上げ681,340,300円。 4月:対日平和条約、日米安全保障条約が発効。
  5月31日 〜6月15日 第3回中山競馬6日間開催、入場者98,785名、売り上げ482,096,300円。  
  10月11日 〜11月3日 第4回中山競馬8日間開催、入場者134,363名、売り上げ657,538,500円。
  12月6日 〜28日 第5回中山競馬8日間開催、入場者109,772名、売り上げ686,293,300円。この年から大ヒマラヤ杉にクリスマスツリーの電飾を施す。  
昭和28年 1月3日 〜18日 第1回中山競馬8日間開催、入場者131,566名、売り上げ699,327,800円。
1月26日 〜2月1日 第2回中山競馬4日間開催、入場者52,587名、売り上げ342,659,700円。 1月:NHK,テレビ放送開始。
  4月4日 〜4日 第3回中山競馬8日間開催、入場者140,646名、売り上げ769,252,700円。  
  4月19日 高松宮両殿下が、お揃いで中山競馬場にご来場。  
  6月20日 〜7月21日 第4回中山競馬8日間開催、入場者136,269名、売り上げ836,964,400円。  
  6月28日 第31回中山大障害がNHKテレビで初めて実況放送される。 8月:公衆電話料金5円から10円に値上げ。
  10月10日 〜11月3日 第5回中山競馬8日間開催、入場者156,047名、売り上げ821,967,100円。  
  12月5日 〜27日 第6回中山競馬8日間開催、入場者121,601名、売り上げ872,776,400円。  
昭和29年 1月3日 〜17日 第1回中山競馬8日間開催、入場者137,587名、売り上げ815,741,400円。  
  1月23日 〜3月7日 第2回中山競馬4日間開催、入場者36,818名、売り上げ253,543,700円。  
  4月3日 〜18日 第3回中山競馬8日間開催、入場者122,020名、売り上げ746,667,200円。 4月:第1回全日本自動車展。
  6月12日 〜7月4日 第4回中山競馬8日間開催、入場者140,982名、売り上げ809,152,900円。  
  7月1日 日本中央競馬会法公布。 7月:陸海空自衛隊が発足。
  9月16日 日本中央競馬会設立(理事長安田伊左衛門氏)。日本中央競馬会中山競馬場となる。  
昭和30年 4月4日 日本中央競馬会理事長に有馬頼寧氏就任。  
  6月14日 2号、3号馬見所補修工事竣工。  
  9月15日 厩舎2棟新築工事竣工。 8月:初の原水爆禁止世界大会。
  11月30日 4号馬見所補強工事竣工。 10月:TV受信契約10万台突破。
  12月2日 塗鞍所新築工事竣工。  
昭和31年 1月1日 「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法)」施行。  
  3月20日 スタンド解体撤去工事終了。  
  3月22日 「有馬特例法」による第1回臨時競馬を8日間開催。  
  4月28日 スタンド起工式挙行。 5月:日本登山隊マナスル登頂。
  9月13日 「有馬特例法」による第1号工事、中山競馬場スタンド改築工事が竣工。  
  12月23日 有馬頼寧理事長の発案により、「中山グランプリ競走」が創立。 12月:日本国連加盟承諾される。
昭和32年 1月9日 有馬頼寧理事長死去。  
  1月24日 パトロール・タワー工事竣工。  
  1月29日 日本中央競馬会理事長に酒井忠正氏就任。  
  10月30日 連勝式トータライザー新設工事竣工。 8月:東海村に原子の火ともる。
  11月23日 有馬頼寧理事長の急逝により、中山グランプリ競走が「有馬記念」に改称。  
  12月14日 勝馬投票券発売票数集計表示器(トータライザー)を第8回中山競馬から使用。 12月:カラーTV実験放送。
昭和33年 1月16日 中山競馬場開設30周年記念式典挙行。  
  3月19日 銀座場外発売所改築。  
  4月6日 第3回中山競馬場2日目、厩務員ストで、地区労組の応援を得て組合員が厩舎内付近に座り込み、入場妨害戦術に出たため警官隊と揉み合いとなり、第9競走の発走が5分遅延。 4月:売春防止法施行。
  4月13日 米国ハリウッド・ターフ・クラブの副理事長アンダーウッド氏夫妻が中山競馬を視察。  
  6月8日 第4回中山競馬2日目、下見所入口の橋上から競走馬に硫酸をふりかける事件発生、被害馬6頭。  
  11月10日 地下鉄西船橋駅開通。  
昭和34年 1月18日 昭和33年春の天皇賞、有馬記念馬オンワードゼアの勇退式が行われる。 1月:国民皆保険施行。
  3月29日 ドイツの生産者オッペンハイム男爵夫妻が中山競馬を視察。  
  4月5日 ラングーン・ターフ・クラブ上席理事ウー・バー・サン博士が中山競馬を視察(4月11日にも再度視察)  
  4月10日 第2回中山競馬6日目に皇太子御成婚祝賀競走(ダイヤモンドステークス)施行。  
  6月27日 米国ワシントン州競馬委員会会長ウィリアム・フィッツゼラルド氏が中山競馬を視察。  
  6月28日 稗田虎伊調教師引退、中山競馬場で感謝状と記念品贈呈。  
  6月30日 地下道新築工事着手。  
  7月15日 メルボルン・レーシング・クラブ会長T・S・カーライオン氏が中山競馬場を視察。  
  7月28日 育成馬場および分厩用地として千葉県印旛郡白井村の37,502坪を決定。 9月:伊勢湾台風上陸。
  10月1日 ニュージーランドの馬主兼生産者W・A・ファーザー氏夫妻が中山競馬を視察。極東家畜改良会議各国代表も中山競馬を見学。  
昭和35年 1月5日 新設のアメリカジョッキークラブカップでオンワードベルが優勝し、優勝盃が来日中のニューヨーク・ジョッキークラブ事務総長マーシャル・キャシディ氏から馬主樫山純三氏に贈られる。  
  3月9日 4号スタンド改築工事起工式挙行。  
  3月31日 1600メートル走路の新設工事竣工。  
  4月3日 インドのヒンズー新聞社編集長ナライシマン氏(元サウス・インディアン・ターフ・クラブ理事、現在馬主・生産者)が来場。  
  4月9日 米国ハリウッド・ターフ・クラブ会長マービン・ルロイ氏(映画監督)が中山競馬場へ来訪。  
  4月10日 マラヤのセランゴール・ターフ・クラブおよびストレーツ・レーシング・アソシエーション役員リヨン・ホーエン氏が理事長の招待により来場。中山競馬場および関東各場外発売所でファンの実態調査を施行。  
  4月24日 ニュージーランドの元トータリゼータ代理局総支配人C・L・グレインジ氏が中山競馬を視察。  
  6月26日 元フィリピン大統領キリノ氏の女婿で馬主のルイス・M・ゴンザレス氏、オークランド・レーシング・クラブ財政委員C・B・ウェーク氏らが来場。 6月:新安保条約発効。
  9月19日 4号スタンド完成。東洋一のマンモス・スタンドとなる。 9月:カラーTV本放送を開始。
  10月8日 ウッド式発馬機全レース使用開始。
  10月15日 ラングーン・ターフ・クラブ役員コージー博士が中山競馬を視察。  
  12月3日 オーストラリア重要産業省次官J・V・マロニー氏一行が中山競馬を視察。  
昭和36年 1月22日 マッカーサー駐日米国大使夫妻が来場。  
  7月8日 サラブレッド・レーシング・アソシエーション会長シェファー氏一行が中山競馬場を視察。  
  7月27日 白井分厩場の整地工事始まる。  
  9月15日 事務所竣工。  
  10月8日 第5回中山競馬6日目は厩務員ストのため開催取り止め。 10月:日紡バレー欧州で24連勝。
  10月 馬場内投票所新築。  
  12月3日 アメリカの名騎手エドワード・アルケロ騎手が中山競馬場で高橋英夫騎手と併走模範騎乗。  
  12月15日 競走馬慰霊祭が行われる。  
  12月25日 白井分厩場(白井分場)新設。  
昭和37年 1月21日 第3回アメリカンジョッキークラブカップでタカマガハラが優勝し、優勝盃が来日中のウィリアム・レオンハート駐日米国大使から馬主平井太郎に贈られる。  
  3月10日 〜25日 オリンピック基金臨時競馬として7日間開催。 2月:東京都、世界初の1,000万都市に。
  4月8日 マラヤ、パハン州のサルタン、アブ・バカール氏夫妻が中山競馬を観戦。  
  4月15日 厩務員労組のストのため第3回中山競馬5,6日目が取り止めとなり、この日に予定されていた皐月賞は4月22日に移して施行される。なお、クラッシックレースの中止延期は今回が初めて。  
  6月22日 日本中央競馬会理事長に石坂弘氏就任。 8月:堀江謙一、ヨットで太平洋横断。
  11月5日 中山競馬場装鞍所でサラ系2歳馬特別せり市(デラックス・セール)開催。出場馬は65頭。  
  12月1日 第6回中山競馬から場内でも200円券(単・複・連)発売。  
  12月5日 場内有線テレビ実用化。  
  12月23日 故有馬頼寧氏の7周忌に際し、同氏を偲ぶ会が中山競馬場でレース終了後行われる。  
昭和38年 3月16日 〜24日 オリンピック基金臨時競馬として5日間開催。 1月:初のテレビアニメ「鉄腕アトム」登場。
  3月24日 第2回中山競馬5日目第8競走を競馬法制定40周年記念競走として施行。  
  4月1日 競馬施行規程の一部を改正する省令(8枠連複制)実施。  
  4月13日 〜21日 厩務員ストのため第3回中山競馬5〜8日目が取り止め。 5月:大鵬初の6場所連続優勝。
  6月23日 昭和33〜35年の皐月賞を3連勝した渡辺正人騎手の引退式が行われる。  
  6月30日 第5回中山競馬2日目第9競走で保田隆芳騎手が前人未到の通算1,000勝達成。  
  9月30日 Aスタンド増築工事竣工。  
  10月13日 オーストラリア、メルボルン市のヘラルド・サン・テレビ放送会社が、中山競馬のレースおよび場内風景を取材。 11月:日米間TV宇宙中継成功(ケネディ米大統領暗殺される)。
  12月1日 新輸入種牡馬ワラビーを中山競馬場で一般に展示。  
  12月29日 第8回中山競馬追加開催。  
昭和39年 1月3日 第1回中山競馬から場内テレビにて出走馬の馬体重を発表。  
  1月19日 第5回アメリカジョッキークラブカップでスズトップランが優勝し、賞盃が米国大使代理の農務省高官ボウルウェアー氏から馬主小柴芳夫氏に贈られる。  
  4月19日 スタンド工事のため、皐月賞は東京で施工。 4月:海外旅行完全自由化。
  9月2日 スタンド増築工事および馬場改修工事の竣工式が行われる。 6月:酒類25年ぶりに自由価格。
  9月13日 第3回中山競馬4日目第8競走を「日本中央競馬会創立10周年競走」として施行。 10月:東海道新幹線スタート、東京五輪開催。
  12月5日 2,3階発売所に発売残り時間表示装置を設置。 11月:米原潜、佐世保に入港。
昭和40年 2月18日 職員、厩舎関係者が共同で防火訓練を挙行。  
  3月13日 第2回中山競馬から自動タイム計測装置を正式採用。また、婦人専用窓口をスタンド2階中央に13窓設置。 3月:山陽特殊鋼、戦後最大の倒産を記録。犬山市に「明治村」開村。
  4月4日 第3回中山競馬2日目から着順、払い戻し金額などのレース結果を電光表示装置により、レース終了後直ちにファンに報知。  
  4月11日 中山大障害でフジノオーノが4連覇達成。  
  8月2日 船橋市に救急自動車を寄贈。 7月:名神高速道路開通。
  10月5日 岩佐宗五郎厩舎から出火、厩舎1棟を焼失。 9月:国鉄「緑の窓口」を開業。
  12月26日 第10回有馬記念にシンザン優勝、五冠馬の名称を得る。馬場内発売所増設工事完了(32→40窓) 10月:南海ホークス捕手、野村克也「三冠王」に。
昭和41年 3月19日 第1回中山競馬から、中山競馬場では手売り方式と併用して、発売機による発売(トータリゼータ・システム)を実施。 3月:住民登録人口、1億人を突破。
  6月 調整ルーム新築。 6月:ビートルズ武道館で公演。
  7月24日 新橋場外発売所が東京都市街地改造計画によって取り壊しとなったので、30日から本部ビル内発売所で発売業務を開始。  
  9月1日 ダートコース完工式。  
  9月10日 日本中央競馬会理事長に清井正氏就任。  
  9月 パトロールタワー新設。  
  10月28日 中央競馬型トータリゼータ・システム竣工式。 10月:戦時中の接収ダイヤ売出。
  11月6日 第3回中山競馬から勝馬投票券発売業務の全面機械化(トータリゼータ・システム)を実施。  
  11月 スタンドA棟改造。  
  12月11日 新輸入種牡馬インディアナを中山競馬の昼休みに公開。  
昭和42年 1月22日 アメリカジョッキークラブカップに駐日米国大使ジョンソン夫妻臨席。  
  2月13日 スタンドE棟の起工式挙行。 2月:初の建国記念の日。
  4月1日 〜16日 厩務員ストのあおりで、第2回中山競馬3,4日目は中止となり4月29日、30日に延期。また、5〜8日目は取り止め。9日予定の皐月賞は30日に行われる。 4月:革新・美農部都政が誕生。
  4月4日 銀座場外発売所が現在地に移転、竣工。  
  5月6日 錦糸町場外発売所が現在地に移転、竣工。 6月:自動車台数1,000万を突破。
  8月31日 スタンドE棟完成。また、バス道路を跨ぐ歩道橋も完成。  
  9月7日 スタンドE棟の竣工式挙行。  
  10月15日 第6回中山競馬5日目午前7時から午後1時までは、全競労が開催スト。  
  11月3日 フランス種馬所総監ポール・ド・ローラン・ド・サンマルタン伯が中山競馬場を視察。  
  11月23日 東京競馬場が工事中のため、秋の天皇賞を中山競馬場で施行。この日、有名騎手の協力を得てチャリティ・サイン会、チャリティ・セールを行い、21,22日の分とあわせ純利益22万を福祉施設に寄付。 12月:TV受信契約2,000万台突破。
昭和43年 1月14日 新輸入種牡馬アイアンリージを中山競馬場で展示。 1月:米原子力空母、佐世保に。
  2月17日 積雪のため第2回中山競馬7日目が中止。同8日目とともに翌日に順延。  
  3月10日 中山大障害に4連勝したフジノオーの引退披露式が行われる。  
  3月23日 日豪協会、日ニュージーランド協会のメンバーの内、ニュージーランド大使夫妻をはじめ50余人の会員が来場。  
  4月20日 日英協会の招待会で、秩父宮妃殿下が英国大使夫妻など50名の関係者らとともにご来場(但し、非公開)  
  5月11日 日加協会のメンバーを招待。  
  7月1日 白井分場に建立した馬魂碑の除幕式および法要を同場で施行。 7月:郵便番号制スタート。
  11月27日 地下道の新設およびスタンド増築工事が完了し、竣工式を挙行。 8月:日本初の心臓移植手術。
昭和44年 4月20日 第2回中山競馬8日目の皐月賞当日、全競労が開催スト。 5月:東名高速道路全線開通。
  9月28日 この日のスプリンターズステークスを、東京で開催中の英国フェアを記念して「英国フェア開催記念」と銘打って実施。 7月:米宇宙船アポロ11号人類初の月面着陸。
昭和45年 4月4日 銀座サービス・センターの内部改装工事が完成しオープン。 3月:万国博(大阪)開幕。
  4月26日 全競労が開催ストを実施し、第2回中山競馬4日目は非組合員により開催。 10月:六甲トンネル16.2キロ貫通。
  12月5日 錦糸町で場外発売所として初のトータリゼータ・システムによる発売開始。 11月:三島由紀夫ら割腹自殺。
  12月27日 有馬記念を2連覇したスピードシンボリの引退式が行われる。  
昭和46年 12月25日 競走馬の流行性感冒が関東一円に蔓延し、第6回中山競馬7,8日目を取り止め。 8月:火星接近で望遠鏡に人気。
昭和47年 2月26日 流行性感冒のため関東地区で中止されていた競馬が第1回中山競馬で再開。 2月:軽井沢・あさま山荘事件。
  4月15日 〜16日 厩務員ストのため第2回中山競馬7,8日目は取り止め。  
  5月28日 第1回ローレル競馬場賞中山牡馬ステークスの優勝馬主に、来日中のJ・シャピロ氏(ローレル競馬場理事長)から賞品授与。 9月:日中国交正常化。
  6月29日 日本中央競馬会理事長に大沢融氏就任。  
  9月2日 馬場内広場の投票所改築。  
  12月17日 第17回有馬記念で1レースの売り上げ100億円突破の新記録。  
昭和48年 3月4日 中央入りしたハイセイコーが弥生賞に優勝。以降、ハイセイコーブームが巻き起こる。  
  4月14日 中山・東京投票所臨時従事員組合がストに突入、このため関東地区の場外販売を中止。  
  6月23日 勝馬投票券の自動発売機の試作品を中山競馬場で使用。 10月:日本列島に石油ショック。
  12月1日 京葉労協による前日ストのため第5回中山競馬1日目は取り止め。  
昭和49年 2月23日 第1回中山・阪神競馬から電話投票の試験的実施を開始。なお、関東の電話投票センターは浅草場外に設置。  
  4月11日 厩務員ストのため第2回中山競馬7、8日目を取り止め。このため皐月賞は5月3日に東京競馬場で施行。 4月:春闘史上最大のゼネスト。
  5月3日 皐月賞で初めてシード制実施。 10月:巨人軍長島茂雄選手引退。
昭和50年 3月9日 野平祐二騎手の引退式が行われる。  
  3月16日 〜21日 投票券発売機1台盗難。 5月:エリザベス女王ご夫妻来日。
  10月1日 錦糸町場外発売所の払い戻し専用分館が業務開始。 8月:電話加入者3,000万人突破。
  12月21日 中山大障害でグランドマーチスが4連覇達成。  
昭和51年 4月18日 厩務員ストのため第2回中山競馬7、8日目を取り止め。このため皐月賞は4月25日に東京競馬場で施行。 2月:米上院でロッキード疑惑明るみに。
  6月19日 第3回中山競馬から試行として複合勝馬投票券(ユニット馬券)の発売・払い戻し開始。 5月:植村直巳北極圏単独横断。
  9月8日 銀座場外発売所の払い戻し専門分館が業務開始。 9月:王貞治、通産756号ホーマー(世界最高)。日本赤軍日航機をハイジャック。
  10月9日 一般公募による電話投票(浅草ARS)を第4回中山競馬から運用開始。  
昭和52年 6月19日 地方競馬招待競走が行われる。  
  12月3日 勝馬投票券売得金の年間売上げが1兆円の大台を突破。  
昭和53年 3月7日 美浦トレーニング・センターへ人馬の移動開始。  
  3月26日 ヤマブキオーが第2回中山競馬2日目第9競走で20勝を達成。サラ平地競走ではハクチカラ以来2頭目。  
  4月10日 美浦トレーニング・センター開場式。  
  4月17日 美浦トレーニング・センターへの人馬移動完了に伴い、公正室、労務課および競走課並びに白井分場を廃止。 5月:成田空港開港。
  6月24日 日本中央競馬会理事長に武田誠三氏就任。 6月:宮城県沖地震。
  7月5日 『農林省』が『農林水産省』に名称変更。  
  8月30日 国鉄船橋法典駅から馬場内広場への連絡専用地下道および北入場門の新設工事竣工。  
  10月10日 美浦トレーニング・センターの移転に伴い、不用となった調教馬場を改修したダートコースの拡幅工事が竣工。  
  10月16日 場外勝馬投票券発売所の組織に組み入れられ、銀座、錦糸町、浅草、新橋、中央競馬サービス・センターの各場外が中山競馬場へ移管。  
昭和54年 3月15日 有馬記念のファン投票が第1回登録前に実施されるように改正。 1月:国公立大で初の共通一次。
  9月25日 本場場拡幅、スタンド前スロープの拡張、馬場内A地区からスタンド構内を結ぶ地下人道の新設、馬場内B地区にポニー馬場、子供の広場等の新増設工事が竣工。 3月:電話、全国完全自動化。
  12月23日 バローネターフが、中山大障害史上初の5回制覇達成。 10月:大卒就職率73.6%と最高。
昭和55年 1月15日 昭和54年の年度代表馬グリーングラスの引退式が行われる。 3月:総人口1億余の80.2%が昭和生まれ。
  11月30日 昭和52年のダービー馬ラッキールーラの引退式が行われる。  
昭和56年 1月18日 昭和52年の菊花賞馬プレストウコウの引退式。  
  6月2日 中山大障害を4連勝したフジノオーが不二牧場で心臓障害のため死亡。  
  9月5日 映像伝送システムが第3回中山競馬から開始。 9月:100歳以上の高齢者全国で1,072人。10年前の3倍強。
  9月15日 日本中央競馬会理事長に内村良英氏就任。  
  10月31日 新橋場外発売所の改築工事が完了し業務開始。  
  11月22日 わが国初の国際招待競走『第1回ジャパンカップ』が東京競馬場で行われる。 11月:ロッキー青木ら気球で太平洋横断。
  12月14日 初めての有馬記念フェスティバルが、東京の新宿コマ劇場で行われる。入場者約2,400名。  
昭和57年 1月10日 昭和55、56年の年度代表馬ホウヨウボーイの引退式が行われる。 4月:500円硬貨発行。
  4月17日 京葉労組ストのため第3回中山競馬7、8日目は関東労加入厩務員の担当馬を中心に施行。なお、このストの影響により皐月賞の前日発売は行われず。 6月:東北新幹線開業。
  9月11日 第4回中山競馬から、複勝式のオッズを表示開始。 11月:上越新幹線開業。
昭和58年 1月16日 昭和57年春の天皇賞馬モンテプリンスと重賞3勝馬シービークロスの引退式が行われる。  
  4月17日 皐月賞にミスターシービー優勝。その後、ダービー、菊花賞にも優勝し三冠馬となるが、中山競馬場で行われた皐月賞の優勝馬が三冠馬となったのは初めてだった。 3月:東北大、体外受精に成功。
  10月 新事務所竣工。 10月:初の試験管ベビー誕生。
  11月29日 運営審議会において、昭和59年度からの番組編成の大幅改正(グレード制の導入と距離体系の確立)を決定。  
  12月3日 第5回中山競馬から、場内テレビの二元化放送開始。  
昭和59年 1月15日 昭和56年有馬記念、昭和58年春の天皇賞馬アンバーシャダイと昭和57年秋の天皇賞馬メジロティターンの引退式が行われる。  
  1月21日 降雪のため、第1回中山競馬7日目は第6競走以降を取り止め。  
  3月4日 昭和55年皐月賞馬ハワイアンイメージの引退式が行われる。  
  4月8日 『中山スプリングフェスタ'84』開催。 6月:厚生省が世界一長寿国宣言。一人暮らしの老人105万人。
  12月1日 第5回中山競馬から『映像伝送全国ネットワークシステム』の運用開始。 11月:1万円、5千円、千円の新札を発行。
昭和60年 1月15日 昭和59年天皇賞(春)馬モンテファスト引退式が行われる。 6月:厚生省が世界一長寿国宣言。一人暮らしの老人105万人。
  7月26日 日本中央競馬会理事長に澤邉守氏が就任。 3月:科学万博開幕。
  11月20日 『クリスタル・コーナー』と名付けられた新スタンドが竣工。  
  11月30日 全国で3番目の大型映像ディスプレイ装置が運用開始。  
  11月 キャラクターマーク『ナッキー』を制定。  
昭和61年 1月5日 第1回中山競馬から場内ファン向け新出馬表『レーシングプログラム』の配布開始。  
  3月9日 吉永正人騎手の引退式が行われる。  
  3月23日 降雪のため、第3回中山競馬2日目は第8競走以降を取り止め。予定されていたメインレースのスプリングステークスは3月30日に移して施行。 4月:男女雇用機会均等法施行。
  5月30日 1400メートルの発走地点を新設。  
  8月 馬場内A地区に冷暖房完備の休憩所(レイサロン)および総合案内所を設置。B地区には屋外アスレチックを設置。  
  9月21日 本年度からサンケイ賞オールカマーが地方競馬招待競走として行われるようになる。  
  11月25日 馬場状態表示と一体化した着順表示装置改修。  
  12月7日 七冠馬シンボリルドルフの引退式が行われる。  
  12月21日 有馬記念当日、高円宮殿下・同妃殿下が中山競馬をご観覧。
増沢末夫騎手が、第5回中山競馬8日目第6競走でウッドバインに騎乗し、史上初の1万回騎乗を達成。
 
昭和62年 3月28日 中山競馬場でもミニFM放送開始。  
  4月12日 中山大障害(春)当日、高円宮殿下・同妃殿下が中山競馬をご観覧。  
  4月13日 日本中央競馬会の略称『JRA』と場外勝馬投票券発売所の愛称『WINS』を制定。 10月:東京株式市場平均株価が3,836円48銭と史上最大の急落。民放TVで24時間の放映開始。
  12月11日 降雪のため、第5回中山競馬2日目(12月6日)が中止となり、この日に移して施行。  
  12月13日 降雪のため、第5回中山競馬4日目は第3競走以降を取り止め。昭和60年皐月賞、菊花賞、昭和62年天皇賞(春)馬ミホシンザンの引退式が行われる。  
  12月27日 有馬記念当日、高円宮殿下・同妃殿下が中山競馬をご観覧。  
昭和63年 1月24日 昭和61年天皇賞(春)馬クシロキングの引退式が行われる。  
  2月16日 中央競馬サービス・センターの名称を銀座通り場外勝馬投票券発売所に改める。  
  3月23日 中山競馬場開設60周年記念式挙行。 3月:世界最長青函トンネル開通(54キロ)。
  8月24日 ウインズ銀座新館の増築工事完了。  
  11月 馬場内B地区に投票所新設。また、馬場内B地区とグランドスタンドを結ぶ地下道新設。  
  12月18日 昭和62年ダービー馬メリーナイスの引退式が行われる。  
  12月25日 有馬記念当日を『グランプリデー』として開催。『ジョッキーズグランプリ』を新設。  
昭和64年 1月7日 昭和天皇崩御に伴い、全国の公営競技は12日まで全て中止。中止となった第1回中山競馬2、3日目は代替競馬として1月13日と20日に振り分けて行われる。  
平成元年 1月22日 宝塚記念など重賞8勝のスズパレードの引退式が行われる。  
  2月25日 スタンド改修工事のうち、A棟が完成。第2回中山競馬から運用開始。 4月:消費税実施(3%)。
  2月26日 稲葉幸夫調教師、大久保房松調教師、久保田彦之調教師の引退式が行われる。 6月:天安門事件。
  9月9日 新スタンドB棟、新入場門、新バスターミナルが完成。第4回中山競馬から運用開始。また同開催から場内・場外同時締切を実施。 11月:ベルリンの壁崩壊。
  12月1日 厩舎跡地に『けやき公苑』が完成。一般に開放。  
平成2年 2月25日 本郷重彦調教師、矢倉玉男調教師の引退式が行われる。  
  3月24日 ウインズ錦糸町A館が開設。 4月:大阪で国際花と緑の博覧会開催。
  6月1日 日本中央競馬会理事長に渡邊五郎氏が就任。  
  9月15日 同枠取消問題の予防措置の一貫として、出走当日朝の馬体検査を正式に開始。  
  9月8日 パドックの出走馬名掲示板が電光表示となる。 10月:東西両ドイツが統一。
  11月28日 ゴール化粧板新設。  
  11月26日 新スタンド改築工事が全て終了し、竣工式典が行われる。  
  12月1日 2基目のターフビジョンが設置され、この日から運用開始。 12月:秋山豊寛さん、日本人初の宇宙飛行。
  12月12日 ウインズ銀座改修工事竣工式。  
  12月16日 スプリンターズステークスがGTに昇格され施行。  
  12月23日 有馬記念に武豊騎手騎乗のオグリキャップが優勝し、『オグリコール』、『ユタカコール』が巻き起こる。  
平成3年 1月5日 『降着制度』スタート。
昭和63年菊花賞、平成元年天皇賞(秋)、平成2年天皇賞(春)馬スーパークリークの引退式が行われる。
1月:湾岸戦争勃発。
  2月24日 鈴木勝太郎調教師、西塚十勝調教師の引退式が行われる。 2月:多国籍軍、湾岸戦争勝利宣言。
  3月23日 第3回中山競馬1日目に英国アン王女、三笠宮寛仁親王妃信子様がご来場。 6月:雲仙・普賢岳で大火砕流発生。
  8月31日 メモリアルゲート新設その他工事竣工。  
  9月16日 『競馬法および日本中央競馬会法の一部を改正する法律』施行。  
  10月5日 『馬番連勝式』を全国一斉実施。『特別給付金』実施。 11月:ハイビジョン試験放送開始。
  11月27日 総合計算センター管理事務所が中山競馬場所管となる(平成5年2月16日以降は電算部に移管)。 12月:ソ連邦消滅。
平成4年 3月1日 田中朋次郎調教師の引退式が行われる。 1月:貴花田が最年少で初優勝。
  3月14日 〜15日 世界各国の若手トップジョッキーを招待し、わが国の若手ジョッキーとその騎乗技術を競う『ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ』を新設(平成8年第5回まで施行)。 3月:暴力団対策法施行。
  8月31日 滞在用厩舎を改築。秋開催から関西馬の滞在入厩を開始。 9月:毛利衛さん、スペースシャトルに搭乗。
  10月8日 馬場自動散水施設新設。  
  10月31日 地下人道をリフレッシュし動く歩道を新設。  
  10月 女性専用有料化粧室を新設。  
  10月 クリスタル棟1、2階客溜まりを室内化および冷暖房化。  
  12月5日 芝馬場にもオーバーシードを行い、第5回中山競馬は”緑のじゅうたん”で競馬が行われた。  
平成5年 1月16日 競馬学校騎手課程3年生8名による模擬レースを、初めて開催日の昼休みに実施。 1月:曙が初の外国人横綱。
  2月20日 従来GTレースのみに限られていた東京競馬の場内場外発売を開始。  
  2月28日 郷原洋行騎手、中村広調教師、橋本輝雄調教師、吉野勇調教師の引退式が行われる。  
  3月27日 第1回韓国馬事会杯が行われる。 5月:『Jリーグ』発足。
  6月27日 中村勝五郎氏が病気のため死去(81歳)。 7月:55年体制崩壊。
  9月6日 JR船橋法典駅とスタンドを結ぶ地下道に動く歩道3基を増設。愛称を『ナッキーモール』として秋開催より運用開始。  
  9月10日 ウインズ新橋リフレッシュ並びにフロア増設工事竣工。  
  9月11日 第4回中山競馬1日目から『流し投票』『ボックス投票』の施行発売を場内で実施。
第4回中山競馬1日目第11競走『初風ステークス』は『競馬法制定70周年記念』として行われる。
 
  10月29日 天皇賞の前々日発売(金曜販売)をウインズ新橋で実施(菊花賞、有馬記念も実施)。  
平成6年 1月1日 騎手の短期免許が交付できることとなる。  
  1月6日 東西のメインレースの相互発売開始(3歳以外のGT当日とローカル開催を除く)  
  2月27日 松山吉三郎調教師、佐藤嘉秋調教師、矢野幸夫調教師の引退式が行われる。 2月:米不足続く。
  5月2日 ウインズ新橋で地方・船橋競馬の場外発売を開始。  
  8月17日 『花火シンフォニー・イン・中山』と銘打った花火大会を初めて実施。約3万人が来場。 9月:関西空港開港。
  9月18日 産経賞オールカマーを『JRA創立40周年』として施行。また、当日はJRA創立40周年記念ファン感謝デーも開催。  
  10月31日 国際競走(スプリンターズステークス)に対応するため国際厩舎改築工事が竣工。  
  11月22日 運営審議会において地方競馬との交流促進が決定。  
  12月18日 中山競馬初の国際競走としてスプリンターズステークス(GT)を施行。レースは日本のサクラバクシンオーが優勝。  
平成7年 1月14日 岡部幸雄騎手が第1回中山競馬4日目第6競走でプレストシンボリに騎乗して勝ち、通算勝利数を2,017勝として中央競馬史上最多勝を更新。 1月:阪神大震災。
  1月15日 平成5、6年スプリンターズステークス馬サクラバクシンオーの引退式が行われる。  
  2月26日 秋山史郎調教師、高橋英夫調教師、稗田敏男調教師、元石正雄調教師、八木沢勝美調教師の引退式が行われる。  
  3月6日 日本中央競馬会理事長に京谷昭夫氏が就任。 3月:地下鉄サリン事件。
  3月25日 韓国騎手招待競走が行われ、韓国の騎手2名が参加。  
  4月1日 第3回中山競馬3日目から、周辺道路の混雑緩和のため電車来場促進キャンペーン『ストップ・マイカー〜電車で行こう中山へ』を実施。 5月:日本産トキ絶滅。
  9月18日 台風の影響で、第4回中山競馬4日目(9月17日)が中止となり、この日に移して施行。
本年度から『産経賞オールカマー』がGUに格上げされ国際交流競走として施行(但し、本年度は外国からの参加馬はなし)。
 
平成8年 2月16日 後楽園場外勝馬投票券発売所が中山競馬場へ移管。 2月:北海道の豊浜トンネル崩落。
  2月25日 小島太騎手、荒木静雄調教師、尾形盛次調教師、梶与四松調教師、古賀